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学校の概要

  学校の歴史
明治6年(1873年)開校を皮切りに、質の高い教育活動を目指し、家庭や地域社会との連携を密にしながら、歴史と伝統を積み重ねてきた。平成17年4月に一市五町の合併により牡鹿町から石巻市になり、石巻市立の学校となった。
  捕鯨の町として栄えたこの地域は多くの住民で賑わった時期があり、本校にも1000人近い児童が通学する時期もあったが、ここ数年は各学年2,3名前後の在籍となり、今年度は児童数9名、学級数3学級の編成となっている。
  学区の紹介
 牡鹿地区は気候は海洋性気候で、夏涼しく冬は比較的温暖である。主要産業は沿岸漁業、水産養殖業であるが、最近は観光事業にも力を入れてきた。学区は牡鹿半島の最突端に位置し、捕鯨の基地として全国的にも名高く百有余年「鯨の町」として栄えて きた歴史を有する。
 当学区は鮎川浜、新山浜、十八成浜、網地島の4地区からなり、特に鮎川浜には市役所総合支所、市立病院、銀行、魚市場、港などの公共施設が集中し、牡鹿地区の中心地となっていたが、平成23年3月11日の東日本大震災により甚大な被害を受け、その姿は大きく変貌してしまった。在籍児童は全員無事であったが、鮎川浜等沿岸部の集落は津波にのまれ、7割以上の家屋が全壊・半壊という甚大な被害を受けた。そして、本校校庭を埋め尽くすように58戸の仮設住宅が建設されたが、その住民の方々との協働による「ふれあい・支え合いプロジェクト」等、まちの復興・心の復興に向けた特色ある取り組みを行った。平成29年にはその仮設住宅が撤去され、平成30年には、8年ぶりとなる校庭での大運動会を開催することができた。
 令和元年、商業捕鯨が再開、港には観光物産交流施設Cottuがオープンし、鮎川地区の活性化、観光客集客に期待が寄せられた。令和2年からのコロナ禍による様々な制約の中ではあったが、地域住民の知恵と工夫によりイベントを開催、また、港には飲食店等が増え、令和4年8月には、鯨まつりを震災後初となる鮎川港第16利丸前で開催することができた。

 

 

令和5年度 児童数・学級数(令和5年4月1日現在)

学年

  第1学年 第2学年 第3学年 第4学年 第5学年 第6学年 特別支援 合計 
児童数 0 1 2 2 2 0 0 7
0 0 0 1 0 1 0 2
0 1 2 3 2 1 0 9
学級数   1 1 1   3
 

 

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