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1 学区について
自然環境
本校は宮城県の北東部牡鹿半島に位置している。牡鹿半島は,東に金華山,南に網地島を配し,しゅう曲した北上山地とリアス式海岸が美しく,三陸復興国立公園に指定されている。入り組んだ海岸は磯浜が多く,黒潮と親潮が合流する海域で,世界でも有数の漁場となっている。気候は,海流の影響を受け温暖であり,暖地性の植物が分布する。
本学区には,鮎川浜,十八成浜,新山浜,小渕浜,大原浜,小網倉,谷川浜,前網浜等の地区があり,学校は天然の良港鮎川港や太平洋を眺望できる小高い丘(鬼形山を切り開いた所)に立地している。
歴史背景
明治5年に宮城県となり,明治22年に町村施工により大原村,鮎川村となった。昭和15年に鮎川村は鮎川町になり,昭和30年3月に町村合併により大原村と合併し,牡鹿町となった。
昭和22年鮎川・大原中学校が開校し,その後昭和27年,寄磯中学校が大原中学校から独立し開校した。現在使用している校舎の歴史は,昭和24年に現在地に新校舎を建て,昭和56年に鉄筋コンクリート3階建ての現在の校舎が新築されるに至った。校舎付近の歴史的な遺産としては,金華山の黄金山信者,江戸時代に外国船の船行を監視した唐船御番所が黒崎(岬)にある。
平成17年4月,牡鹿町は,石巻市,雄勝町,河南町,河北町,桃生町,北上町と合併し,「石巻市」となり,各中学校が「石巻市立鮎川中学校」,「石巻市立大原中学校」,「石巻市立寄磯中学校」に校名を変更した。更に,平成22年3月31日には,各中学校が閉校し,同年4月1日鮎川中学校校舎に「石巻市立牡鹿中学校」が誕生した。
社会背景
鮎川港は,捕鯨の港として80有余年の歴史を持ち,鯨の産業(昭和51年調べ年間捕鯨数1,433頭)が中心に栄えた。昭和46年4月に,有料道路「牡鹿コバルトライン」が開通し,昭和54年3月に国定公園に指定されて,一時は観光客(平成5年調べ年間50万人)も増えたが,最近では年々その数も減少の一途をたどっている。(平成30年調べ年間約14万人)
また,経営者の高齢化や後継者等の事情もあり,観光施設や民宿も(平成9年調べ57軒,平成19年調べ38軒)減少してきている。商業捕鯨禁止(昭和62年)や遠洋漁業の衰退により,関連産業が急速に衰退し,当時旧町(昭和62年)7,900人余りの人口も東日本大震災を経て令和2年では2,300人余りになったが,観光産業や養殖産業に意欲を燃やす者も多く,街の活性化を図ろうと取り組んでいる。
2 統合について
旧牡鹿町時(市町合併前)
(1)寄磯中の大原中への統合案を提示(平13)
・住民地区説明会の開催
・寄磯,前網地区住民の署名による「寄磯中学校存続に関する陳情書」が提出される。
(2)「おしかの教育環境問題検討委員会」設置(平15)
・「牡鹿町の教育環境の課題に関する報告」を牡鹿町長へ提出(平16)
「町民一体となって統合中学校の条件整備並びに小学校を含む,牡鹿の教育環境が向上するよう積極的に取り組まれるよう望みます。」
(3)「牡鹿小・中学校統合問題検討委員会」設置(平16)
・PTAや諸団体の代表19名で組織,6回の会議を開催し協議
・町長への答申という形まで至らず,意見交換の概要を町民にチラシで周知した。
(4)上記2委員会の協議
・小学校については,当分は現状のままで進むことが妥当であると考えられるが,将来的には2校案で検討していく必要がある。また,中学校については,2校案から1校案への2段階案も話し合われたが,その後再び統合の話題となることが予想されるので,1校案に絞って考え,新校舎建設が望ましい。
新石巻市時(市町合併後)
(1)「牡鹿地域まちづくり委員会」で学校統合が問題提起(平18)
・上記2委員会の検討内容を無駄にすることなく,継続的に進めるべき。(市町に提案書)
(2)「牡鹿地区教育懇談会」の開催(平19)
(教育委員会,行政委員,市議会議員,各種団体)
・中学校統合について早めに進めるべき。小学校統合も今後検討しなければならない。
・学校統合時期を平成22年4月1日に決定
(3)「牡鹿地区中学校統合検討委員会」設立(平20)
・学校統合場所は鮎川中学校校舎,学校名「牡鹿中学校」に決定
・市長,教育長に報告書提出
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