石巻市における文化財レスキュー
1986年11月2日に開館した石巻文化センターは、石巻圏域の文化遺産、歴史資料、美術作品等の収蔵・保管・展示を目的に建設された施設でしたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって甚大な被害を受けてしまいました。
特に、1階の収蔵庫等で保管していた美術作品・民俗資料・考古資料や学芸室にあった業務文書・調査データなどが津波によって水損し、また、消失してしまいました。
震災から約一か月後、文化庁が「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」を立ち上げ、その美術部門の中核を担った全国美術館会議の主導のもと、石巻文化センターでも文化財レスキューが実施されました。石巻文化センターにおける文化財レスキューは、美術作品だけでなく、民俗資料や考古資料、業務文書なども対象となりました。
そして、2023年6月6日、修復を終えた最後の作品が石巻市博物館に戻り、文化財レスキューは完了しました。
被災状況
まずは、石巻文化センターの被災状況を解説します。
震災発生から三日後の様子で、左の奥に見える建物が石巻文化センターです。
水が引くのは震災発生から四日後のことで、建物に取り残されていた職員1名が救助されました。
なお、津波によって撮影機材等も流されてしまったため、震災発生後の写真はあまり残されていません。
石巻文化センターに襲来した津波は、建物の外壁を壊し、搬入庫のシャッターや収蔵庫の扉を押し破りました。
1階は床上3.3mの高さまで浸水しました。
津波で流されてきた車や物などが建物の通路をふさいでしまいました。
右の写真の中には、民俗資料も紛れ込んでいます。
1階にある第1収蔵庫の前の様子です。
毛利コレクションを保管する第1収蔵庫は、震災前に扉を頑丈なものへと取り換えたこともあり、多少の浸水を除いて、大きな被害を受けることはありませんでした。
美術作品を保管している第2収蔵庫は、天井付近まで水没してしまいました。
また、泥や付近の製紙工場から流れてきたパルプが美術作品に付着し、この後に行われる修復作業の大きな障害となりました。
1階にあった学芸室も津波によって被害を受けました。
デジタル機器も水損し、これまで蓄積してきたデジタルデータも失われてしまいました。
2階にあった展示室は津波による被害を受けませんでしたが、地震の揺れで土器が割れたり、天井照明が宙づりになるなどの被害を受けました。
また、高橋英吉作「潮音」などの木彫作品は、免震台に乗っていたこともあり、倒壊などの被害を受けずにすみました。
文化財レスキューの始まり
文化財レスキューとは
文化財レスキューとは、指定・未指定を問わず、被災地にとって文化財と位置づけられるものを対象に、被災した文化財を救出することです。一連の活動として、被災文化財に対し、被災館から救出(緊急避難)した後、除泥・滅菌・脱塩・脱臭等の処理を施し、安定的に保存できる状態に戻すための作業(応急処置・安定化処理)を行い、元の館に返却されるまで一時保管が継続されます。
石巻文化センターの場合、まず、施設から被災資料を搬出し、屋外で応急処置をした後、設備の整った施設に被災資料を搬送して処置を行い、石巻文化センターに代わる施設ができるまで保管する、という形となります。
文化財レスキューを担当した全国美術館会議は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の経験をもとに「大災害時における対策等に関する要綱」を策定するなど、大規模災害時の行動指針を明文化していました。そのため、東日本大震災発生時にも石巻文化センターをはじめ、宮城・岩手・福島各県における文化財レスキューに迅速に対応することができました。
文化財レスキューにおいて重要な点は、救出・保全された被災文化財等が地域にとってどのような意味を持つのかを調査研究や活用を通じて明らかにすること、そして、震災の記憶とともに、被災文化財等を残すために尽力した方々の活動を記録し、継承していくことです。被災地における文化財レスキューでは、これらの点を視野に入れた取り組みが実践されています。
搬出路の確保
石巻文化センターにおける文化財レスキューは、まず被災資料の搬出路の確保から始まりました。
4月7日に県内の関係者による現状確認が行われ、4月20日から本格的に作業が始まりました。この日、石巻に集まった文化庁・国立文化財機構・県内博物館・美術館の職員によって、泥やパルプの除去や、がれきの撤去が行われました。
施設内は電気が不通のため、支援物資として持ち込まれた投光器など明かりを頼りに作業が行われました。
多くの被災資料は泥やパルプを被っていたため、これらをかき分けながら、見落としの無いように作業が進められました。しかし、水を含んだパルプは重く、除去作業は難航します。
美術作品の搬出
搬出路の確保が完了したのは、作業開始から一週間後の4月27日でした。ここから美術作品が保管されていた第2収蔵庫からの搬出作業が始まります。
第2収蔵庫内に流入した泥とパルプは、収蔵庫の床に厚く積もり、床板の膨張によって絵画ラックが動かなくなっていました。そのため、泥をスコップでかき出し、約10人で1台ずつラックを引っ張り、作品の搬出を行いました。ただ、ラックにもパルプがぎっしり詰まって固まっており、搬出作業は難航しました。
収蔵庫から搬出された美術作品です。津波にもまれた結果、大きく破損してしまった作品が多く、わずかなかけらでも見逃さないように細心の注意を払って搬出作業が行われました。
救出と応急処置
石巻文化センターから搬出された美術作品は、その場で個別のレスキュー番号が付与され、作家名と作品名を記載したボードと一緒に撮影し、簡易な管理リストが作成されました。
「0008」や「0011」はレスキュー番号です。石巻文化センターにおける整理状態を確認することができなかったため、その場で番号が振られました。また、作品の中にはレプリカも含まれていたため、その場で判断できない作品については「A」や「B」が振られました。
レスキュー番号等が付与された美術作品は梱包され、4月28日より順次、宮城県美術館へ搬送されました。そこで除泥や脱塩などの応急処置を受けることになります。
各施設における応急処置と安定化処理
宮城県美術館に搬送された美術作品は231件(追加保管を含めると246件)にも及びます。これらの作品は、被災し汚れた状態であるため、清浄な環境が保たれている館内に持ち込むことができません。そこで、宮城県美術館の全面的な協力を得て、屋外倉庫を提供いただき、応急処置から自然乾燥まで約2ヵ月かけて作品の安定化がすすめられました。
この間、全国美術館会議会員館19館の学芸員ら約40名が応援に駆けつけ、ローテーションを組み、情報を引き継ぎながら作業にあたりました。
応急処置と安定化処理が完了した美術作品は、その後、専門の設備が整った美術館や大学へと搬送され、さらに修復が行われることになります。
国立西洋美術館
国立西洋美術館には、2011年4月から5月にかけて、宮城県美術館で応急処置が行われた油彩画・紙資料(素描・雑誌・アルバム・手帳など)89件が運び込まれ、そのうち紙資料の修復作業が行われました。水損した紙資料は、1点1点丁寧に修復処置が施され、最終的に667点もの資料が国立西洋美術館にて修復されました。作業は長期間にわたり、すべての処置が完了したのは2021年9月でした。
主な修復作品や資料としては、高橋英吉関係資料や芳賀仭素描などがあります。
神奈川県立近代美術館葉山館
神奈川県立近代美術館葉山館では、国立西洋美術館より移送された油彩画13点の修復作業が行われました。修復により元の姿を取り戻した作品は、2021年10月5日まで保管されました。
主な修復作品としては、芳賀仭「待つ労働者」や太齋春夫「東尋坊」などがあります。
東京芸術大学 保存修復油画研究室
東京芸術大学では、国立西洋美術館より移送された油彩画や平面立体作品32件の修復作業が保存修復油画研究室にて行われました。懸命な修復活動は、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、困難を極めましたが、2023年6月に最後の3件の修復が完了し、石巻市へ帰ってきました。
主な修復作品としては、石田常福「石巻住吉社前之眺」や斎藤義重「カラカラ」などがあります。
東北芸術工科大学 文化財保存修復研究センター
東北芸術工科大学では、木彫作品や日本画等63件の修復作業が行われました。さまざまな分野の研究員・大学院生・卒業生が交代しながら作業に当たり、2018年2月に修復作業が完了しました。その後、作品は宮城県美術館に移送し、保管されました。なお、修復作業にあたっては、紫外線や可搬型蛍光X線分析による材料の推定や、学生の勉強を兼ねた樹脂同定や接着剤の分析等といった科学的な検討が試みられました。
主な修復作品としては、桂ゆき「作品」や神山明「もしもし・・・聞こえますか」などがあります。
救出できなかった美術作品
津波で被災した作品の中には、救出できなかったものもあります。
一つは、須田悦弘「葛」です。1996年に製作され、翌年石巻市が購入しましたが、収蔵庫内に流入した津波の衝撃で粉砕されたものと想像され、回収できたのは花穂一片のみでした。
もう一つは、高橋英吉「木製ボタン」です。1986年10月に高橋英吉の妻澄江さんから寄贈を受けた作品の中に、3点「木製ボタン」がありました。しかし、文化財レスキューで救出されたのは2点でした。
これらの美術作品以外に、考古資料や民俗資料には津波で流出してしまった資料が多数あると報告されています。また、石巻文化センターが所蔵していた写真の多くもまた、水損によって画面の情報が失われてしまいました。特に石巻文化センター時代に撮影したデジタルデータは、1階の学芸室のパソコンに保存されていたためほぼ消滅しています。石巻文化センター時代のデジタルデータを取り戻すだけでも、膨大な時間がかかることが予想されます。
被災作品の修復と震災の記憶
石巻文化センターの被災作品については、「震災による傷跡や損傷は作品の経た歴史の一部として考え、現状を維持して残す」という処置方針が掲げられました。それは、修復に必要な情報(被災前の作品の状態を示す写真など)が限られ、作家が亡くなっているために本人による修復が望めないという事情がありましたが、震災の痕跡を残すことで、作品から震災の記憶を伝えることができるという見方もあります。
高橋英吉作「少女と牛」
左が被災し修復された作品、右が震災以前に撮影された写真です。この他にも、「少女と牛」には複製もあります。
左の写真を見ると、少女の足が欠けているのが分かります。しかし、震災前の写真や複製があることによって、震災によって失われた作品の具体的な情報を確認することができました。
2021年11月3日の石巻市博物館の開館記念企画展として、2022年2月27日まで「文化財レスキュー 救出された美術作品の現在(いま)」を開催しました。
企画展は、第1章「救え!文化財レスキュー」、第2章「石巻文化センター美術作品の現在」、第3章「文化財を未来へつなぐ―修復・保管から活用・継承へ―」で構成され、第1章では震災発生から宮城県美術館における応急処置までの文化財レスキューを取り上げたもの、第2章では修復された被災美術作品の展示、第3章では各修復現場にスポットを当てた展示を行いました。また、展示室内には、震災当時または以前に石巻文化センターに勤務していた学芸員への聞き取りを行い、当事者の生の声を「学芸員の証言」として提示しました。
展示風景
本ページ下部に出品目録があります。
市内の主な文化財レスキュー活動
- 石巻文化センター
民俗資料 凸版印刷株式会社
考古資料 仙台市教育委員会、東北大学埋蔵文化財調査室、国立科学博物館
毛利コレクション・常設展示資料 東北歴史博物館
図書資料 NPO法人宮城資料保全ネットワーク、大学共同利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館
文書関係 独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所 - 石巻市鮎川収蔵庫 収蔵資料 東北学院大学博物館
- 旧牡鹿町誌編纂資料 東北福祉大学芹沢ケイ(金に圭)介美術工芸館
- 石巻市おしかホエールランド資料 仙台市科学館、国立科学博物館、東北大学総合学術博物館
- 雄勝硯伝統産業会館・雄勝公民館 東北大学総合学術博物館
- 石巻市稲井支所埋蔵文化財 東北歴史博物館
- 被災資料等収蔵施設環境構築 東北歴史博物館
- 個人所蔵資料 NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークほか
上記の他にも多くの方々のご支援・ご協力をいただきました。改めてお礼申し上げます。
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、左記の「Adobe Acrobat Reader」バナーをクリックしてリンク先から無料ダウンロードしてください。
関連リンク
- 石巻市博物館(外部サイトにリンクします)
その他の問い合わせ先
石巻市博物館 石巻市開成1-8(マルホンまきあーとテラス内)
Tel 0225-98-4831