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チュニジア共和国

更新日:2018年9月4日
チュニジア国旗

  • 国名 チュニジア共和国

 

  • 首都 チュニス(人口約105万6千人)

 

  • 面積 16万2155平方キロメートル(日本の約半分)

 

  • 人口 1140万人

 

  • 時差 8時間(日本より8時間遅れ)

 

  • 公用語 アラビア語

 

  • 位置
    アフリカ大陸最北端。シシリー海峡をはさんでイタリアの対岸に位置します。
    チュニス(Tunis)からローマへの航路は1時間で東京から大阪間とほぼ同じ距離。
    パリ・マドリッド・ジュネーブ・フランクフルトからは約2時間。ロンドン・アムステルダム・ブリュッセル・カイロ・カサブランカからは約3時間です。

 

  • 風土 小高い丘Tell(テル)に覆われた緑の多い山岳地帯の北部、ステップ気候の草原がサヘル沿岸地まで広がる中央部、ショット(Chotts 塩湖)、広大なサハラ砂丘(Dunes du Shara)、草木の生い茂ったOasis(オアシス)などがある南部と大きく3つの地域に分けることができます。

 

  • 気候 地中海性気候でそれぞれの季節の平均気温は、チュニスで冬16度、春24度、夏30度、秋25度です。チュニジアは、その温暖な気候から”緑のチュニジア Tunisie la Verye”と称されます。

 

  • 歴史
    伝説のフェニキア人の王女アリッサ。チュニジアの歴史は、この王女による紀元前9世紀のカルタゴ建国に始まる。チュニス近郊のカルタゴに拠点を置き、恵まれた立地と豊かな自然を武器に、カルタゴは地中海を代表する大国として栄華をきわめる。
    しかし、しだいにローマ帝国と地中海の覇権をあらそうまでになり、三度にわたり戦争がおきることになる。紀元前3世紀の第2次ポエニ戦争では名将ハンニバルが勇名をはせるが、紀元前146年の第3次ポエニ戦争でカルタゴは全面的な敗北を喫してしまう。
    カルタゴの街は灰燼に帰し、カルタゴ再興をおそれたローマ軍は大地に塩をまき、カルタゴの地は草木1本生えない不毛の地になったと伝えられている。
    それから1世紀のち、ローマ帝国はカルタゴの再建にとりかかる。カルタゴはローマ帝国の穀倉地として発展し、周辺地域に殖民都市を次々と築いていった。
    現在のチュニジア各地に残る遺跡がローマ帝国往時の隆盛を今に伝えている。
    さらに5世紀以降は、ヴァンダル人やビザンチン帝国の支配をうけ、7世紀後半はアラブ王朝がおこり、現在にいたるまでイスラム教徒が国民の大半をしめている。
    8世紀以降もさ まざまなアラブ王朝が興亡をくりかえし、16世紀のオスマン・トルコ支配を経て、1881年に フランスの保護領となるが、1956年に独立し、以来、チュニジア共和国として発展し続けて いる。


 チュニジア政府観光局、チュニジア大使館・文化部発行パンフレットより

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