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1973年(昭和48年)8月、「青い目の人形見つかる!」のテレビ放送を見ていた、当時桃生小学校に勤務していた須藤良子先生。
北側の物置に投げ出されたままの人形を思い出し、取り出したのがセルロイドの人形でした。
身長40センチ、金髪に朱色のベレー帽、ピンクのドレス、エンジの毛糸で編んだ半袖のワンピース姿、紛れもない青い目の人形で「メリーちゃん」だったのです。
ほこりにまみれ、毛糸は虫に食われてぼろぼろでした。
しかし、寝かせると目を閉じて、だっこすると青い目を見せるかわいい人形でした。
当時、桃生小学校の教師で、桃生町に住んでいた高橋さんの話によると、「確か宮城県に来た数が少ないというので抽選となり、桃生小学校が当たり、贈られたはずです。」とのことでした。
ミス宮城は、現在、アメリカカンザス州在住のマーガレット・コルベットさんが所蔵しています。
コルベットさんは、アメリカ国内の小学校で、「青い目の人形」にまつわる日米交流史を伝える活動をしています。
また、新・友情人形を上沼小と桃生小に贈ってくださいました。
2000年4月24日、再び青い目の人形が届きました。日本が返礼に贈った人形「ミス宮城」を所有する米国人女性からの贈り物で、70年ぶりの妹誕生を喜びました。
空の長旅を終えて着いたかわいらしい人形は、スザンヌちゃん。
米国カンザス州のマーガレット・コルベットさんがオークションで手に入れた「ミス宮城」の由来を知り、人形がもつ「日米親善大使」の役割を取り戻そうと所蔵品の中から贈っていただきました。
平成15年5月には、マーガレット・コルベットさん、コルベットさんの娘 ドディーさんが桃生小学校にいらっしゃいました。
そのときには、「ミス宮城」を持参していらっしゃいました。
歓迎の横断幕を作成したり、はねこ踊りを披露したりして、お二人を暖かくお迎えしました。
コルベットさんからもお話をいただいたり、青い目の人形のビデオを鑑賞したりして、理解や交流を深めました。
子どもたちは、改めて交流や平和の大切さを考え、「メリーちゃん」「ミス宮城」をじっくりと見入っていました。
私は、今までに新聞の記事を見たり、先生の話を聞いたりすることで、青い目の人形」メリーちゃんにについて色々なことを知りました。
今から約70年前、アメリカと日本の子どもたちが仲良くできるようにと、アメリカから贈られた人形であること。
しかし、戦争のためにほとんどが焼かれてしまったこと。
ところが、その中の一つが桃生小学校に残っていたことなどです。
戦火で人形が焼かれてしまった話を聞いたときは、とても悲しくなりました。仲良くなってほしいという願いを込めて、せっかく贈ってもらった大事な人形だったからです。
でも、いくつかは焼かれずに残っていたこと、その中の一つが私が通っている桃生小学校に残っていたことを知ったときは、とてもうれしく思いました。
本当にありがとうございました。
これからは、メリーちゃんとスザンヌちゃんの両方を、桃生小学校の宝物として大切に残していきたいと思います。
そのためには、戦争で焼かれたりすることがないように、アメリカなどの他の国の人たちと仲良くして行くことが大切です。