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このサイトの画像は、今年度以前のはねこ踊り関係のものです。
はねこ踊りは、打ち囃子(うちばやし)、献囃子(けんばやし)、馬鹿囃子(ばかばやし)の3つの囃子によって踊られる、全国にもその類を見ない豊年踊りです。
この踊りは、古来旧暦8月15日(現在は新暦9月15日)、寺崎八幡神社祭典のときに奉納される各種行事の一環として伝承されています。
特に、4年ごとの同神社の例大祭にあたり、神輿渡御があり、当地方唯一の盛大な祭りとなっています。
その祭りに猿田彦命を里に下ろす神輿渡御行列に、お供する獅子が先頭になって道を清め、悪魔を払います。その行列に続いて、稚児行列、子ども神輿、はねこ踊りと続きます。
はねこ踊りは、山車の上に囃子連中、山車前面の進行路上を踊り場として移動しながら、あるいは停止して踊る形をとっており、囃子を聞く人、踊りを見る人、だれもが心を奪われ、とけ込んでしまう踊りです。
県無形文化財に指定されています法印神楽は、史実の通り何百年来の郷土芸能と言われています。
この神楽が奉納されています寺崎八幡神社は、康和3年 藤原清衡氏が山城国 岩清水八幡宮の御分霊を勧請されたもので、応神天皇が奉られています。
祭典当日の神楽奉納に加え、このはねこ踊りが踊られてきたものです。
はねこ踊りの由来は、宝暦・天明・天保の時代から始まります。
当時の寺崎村では、たびたびひどい凶作に見舞われ、人々の生活は大変苦しいものでした。
村人の唯一の心の支えであった神に対する信仰は、いよいよ深く生活に密着するようになり、村の守護神 八幡様に豊作を祈り続けました。
やがて、何年かぶりに予想しなかった豊作に恵まれ、寺崎村の人々の喜びは例えようもなく、村をあげて格別の感謝を込めて、八幡神社に神楽を奉納しました。
この時、村の一部の人々が田の神を経済に勧請し、田打から刈り取りまでの一連の田作を身振りに、太鼓や笛を奏し、神との交勧するところになりました。
囃子ならぬ囃子、踊りならぬ踊りは不思議と盛り上がり、いつの間にか集団となって村内に移動していったのが「はねこ踊り」の始まりといわれています。
その後、踊りとして形作られました。
踊る人の動きに、跳ぶ動作が多いせいか、当地方の「はねる(跳ぶ」 「こ(人)」 すなわち、「はねこ」「はねこ踊り」と呼ばれたものであると、各時代の古老から伝承されています。
この踊りの身振りの中に、田打、田植え、刈取りなどの所作がうかがわれ、3つの囃子とともに貴重な民族芸能として保存されています。
はねこ踊りは、寺崎青年会と青年会OB等で組織した保存会が伝承に当たっています。
主な発表の場は、4年ごとの寺崎八幡神社大祭典、青年文化祭、夏祭り、各種アトラクション等で、海外にも日本代表として参加して国際交流を図ってきました。
桃生小学校区においても、「はねこ踊り」を大切に継承していこう・発展させていこうという思いが高まり、平成12年に 「桃生小学校日高見はねこ会」が設立しました。
この名称は、古来、桃生小学校区が「日高見の里」と呼ばれていたことから来ています。
平成20年度では、9つの発表会に参加し、4回の役員会が行わるなど、桃生小学校の子ども・保護者・地域の方々が一体となり、活動を進めてきました。
これからも、桃生に伝わる伝統芸能として大切に保存伝承し、ふるさとづくりにも役立つよう活動を広げていきます。