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新墾神社

更新日:2020年12月25日

新墾神社(にいはりじんじゃ、にいまるじんじゃ)

 寛永年代、大野谷地(現在の桃生町新田・給人町・神取・高須賀、河北地区小船越)の土地300余町を開墾した時、高須賀の人夫権右衛門という者が地中から8寸余りの観音像を発掘しました。これを開墾奉行が言上したところ、伊達政宗公は大いに喜び、この地の鎮守の神として神取山の中腹・新開墾地を一望できる愛宕神社の傍らに一堂宇を建立してに奉斎したのがこの神社の始まりです。
 この地方は二代藩主忠宗公の所領であったため、薨(こう)するに及んだ時その位牌を当社に納めたそうです。そのため、毎年の祭日8月17日には、公儀から高須賀御足軽8名に命じて警護をさせ、幣帛(へいはく)を供進するのが例でした。また、安政5年には藩主伊達慶邦公が参拝した記録も残っています。
 明治初年の神仏分離令の際、「火産霊神(ほほむすびのかみ)」「豊受比売神(とようけひめのかみ)」「日本武尊(やまとたける)」の三神を奉斎し新墾神社と改称し、明治5年村社に列せられました。その後鳴神沼のほとりに仮宮を建立(御神輿を安置)し、昭和16年にこの場所に奉斎されていた雷神社(天押雲根命=あまのおしくもねのみこと)を合祀し、現在地に奉斎されるに至りました。
 なお、合祀された雷神社は、雨乞いに効験があることから一社を建立し創建した、とありますように、農業用水を求める水神としての性格をあわせもちます。

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県道沿いの鳥居
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入ってすぐ右の説明板
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朱色の鳥居
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本殿。写真右手に鳴神沼があります
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社殿再建の碑
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境内に水準点もあります

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