桃生城跡
更新日:2020年12月16日
桃生城跡
桃生城は天平宝字2(758)年に造営を開始し、同4年(760)年には完成し、その後、宝亀5年(774年)に海道*の蝦夷による攻撃を受けた古代陸奥国の城柵です。
遺跡の範囲は、東西約800m、南北約650m、面積約52haに及び、外周を築地塀(ついじべい)、土塁、材木塀、大溝などによって区画されています。
桃生城が完成してからは、政府の奨励もあり、特別の優遇を与えて、主として関東方面などから移民を募って開発が進み、やがて牡鹿郡から独立して桃生郡を形成するに至りました。
*海道=内陸の山道に対しての海道で、牡鹿柵を起点として牡鹿・桃生を結び、海路及び北上川によって北上する地域を指します。