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お菊塚

更新日:2021年1月6日

お菊塚

お菊塚は、北上川対岸の飛び地小金袋にあります。
 昔、江合川がこの地の周囲を流れた頃のことです。この川岸にお菊という娘が茶屋商売をしていました。
 この家の枕屏風に鶏の絵が描いてありました。どのような名工の作であるのか、明け方になると時をつくるという不思議な名画でした。
 ある年、一人の船頭が川上から米を一艘積んできてこの茶屋で休みましたが、この絵の話を聞いて大いに笑い、「描いた鶏が時をつくるなんて馬鹿な話があるものか、唐天竺の寝言にもない」と嘲りました。「もし本当に時を告げたらこの米船一艘を賭ける」と言って、その家に泊まることになりました。明け方になると、不思議やこの鶏が盛んに時を報じたので、さすがこの船頭も頭をかいて米一艘渡してすごすごと帰っていきました。
 その翌年になって、前の船頭がまたやってきました。そして前より船も大きく俵数も多く積んできました。「さて去年は正しく賭けに負けたが、どう考えても描いた鶏が時をつくるとは不思議でたまらない。もう一度聞かしてくれまいか。今度もまた時を告げたらまた積んできた米俵を皆やる。その代わり泣かなかったら先の米を返してくれまいか。」と申し込みました。そしてその晩も泊まっていくことになりましたが、卑怯にも船頭はお菊の隙を見て、この鶏ののどに針を打ち込みました。サア、その晩は時刻になっても鳴きません。とうとう夜が明けても鳴かないので、船頭はそれ見よとばかりの態度で、前年の虚偽であったことを詰め、お菊の財産を無理無理船に積んで逃げて行きました。この時、船頭が積んできたのは糠俵で、これを対岸に捨てて行ったのが糠塚(現在の河南地区須江字糠塚)の起こりだと言われています。
 お菊はなぜに鳴かなくなったか分からず、船頭には財産を奪われ、かつ糠俵で謀られたかと口惜しくてたまらず、とうとうその所の渕へ投身して憤死してしまいました。この怨霊が祟りをなし、ここを航行する船に危害を加えるので、人々は相談しその川岸に塚を建てその霊を祀ったのがいわゆる「お菊塚」だと言われています。(『中津山村誌』より)

 なお、お菊塚近くの説明板には「糠塚」の起源として、お菊はお年寄りとして書かれています。

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お菊塚全景
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説明板(糠塚について)
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左側がお菊塚です。