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前谷地小学校のあゆみ【前谷地国民学校…戦争の時代】

更新日:2017年11月29日

昭和期【1941年(昭和16年度)から1945年(昭和20年度)】 前谷地国民学校は初等科(今でいう小学校)と高等科(今でいう中学校)で構成されていました。初等科約600名、高等科約300名の児童・生徒数だったようです。 6月には、訓導(今でいう先生の呼び名です)の出征歓送。後日、出征児童を職員が見送っています。 7月に入ると、遺骨出迎え式に児童が参列しています。 7月20日 豪雨により、江合川が大洪水し、5年生以上が土木作業に参加。明治水門が破壊され、浸水したようです。 10月には、4日にわたって蝗(いなご)とりがされました。また、疎開してきた児童を受け入れました。 12月に入ると、空襲警報や警戒警報が何回も発令されています。戦争がはげしくなってきたことが伺えます。1日に3回も空襲警報が発令されています。

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