トップページ > 発見!!稲井のすごいところ > 稲井の歴史 > 稲井地区の地名の由来

稲井地区の地名の由来

更新日:2017年3月1日

・ 稲井=明治22年8つの村がまとまって一つに村になったとき,役場を置いた「井内」の語呂を通し,農業地帯として「稲穂が井泉の如く満作であれかし」との祈念を込めて,村の名前を「稲井」としたのです。その後,昭和34年に「稲井町」になり,昭和40年に石巻市と合併しました。そのため,ここは「稲井地区」と呼ばれているにもかかわらず,住所に全て旧稲井町の地区名が使われているため「稲井」とい住所はありません。みなんの家の住所を調べてみると,自分の家のあるところが,昔何という村のなんという地区あったかがわかりますよ。

・ 沼津=昔の静岡県から沼津三郎左衛門という人が移住して開墾したから,その人の姓から「沼津」となったと言われています。

・ 沢田=谷沢が多く,そこを開拓して田んぼにしたことから「沢田」となったとのことです。

・ 高木=昔の石巻地方を治めていたお殿様の家来,高木一族が住んでいたから,その人の姓から「高木」となったとのことです。

・ 真野=アイヌ語で人のすんでいる集落を「マノ」と言ったことから「真野」の漢字を当てたとのことです。

・ 南境=牡鹿郡と桃生郡の境が,にあり,境の南側ということで「南境」としたとのことです。南境の北側には,河北地区の北境という地名があります。

・ 水沼=昔の「水沼」という人が住んでいたからか沼や沢が多かったからの2つの説があります。

・ 大瓜=昔の石巻地方を治めていたお殿様の家来,大瓜一族が住んでいたから,その人の姓から「大瓜」となったということです。

・ 井内=アイヌ語の「ウインナイ」より語源を発し,「濁った流れの漂う所」の意味で,海や河流のよどむ場所の意味で「井内」の漢字をあてたとのことです。また,井内には,大瓜井内と井内という地名があるのは,昔大瓜村井内と湊村井内があり,話合いで湊村井内が稲井村にいつしょになるとき,湊村をとって「井内」だけにしたためです。

もっと細かい地名の由来は「稲井町史」に載っています。

inai02.JPGの画像
稲井村から稲井町へ(昭和34年)
inai01.JPGの画像
稲井村から稲井町へ(昭和34年)