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開校記念日(6月1日)・前谷地村から河南町、龍ノ口神社などについて

更新日:2017年9月5日

6月1日は「開校記念日」。昨年は前谷地小学校の歴史についてお話しました。今年は、ふるさと前谷地が前谷地村だった時、そして河南町となった時の様子と「かつまつ太鼓」で関わりのある地域の守り神を祀っている「龍ノ口神社」について一部ですがお話をしました。≪前谷地村、そして河南町前谷地地区の時代の様子≫1873年、丁度民家を借りての学校がスタートした頃の、河南地区それぞれの絵図が残っています。その当時から前谷地地区は集落がたくさんあり、中心地でした。まだまだ、周りの地区は山々や田んぼなどがほとんどでした。1955年には、鹿又村、前谷地村、北村、広渕村、須江村の5か村が一つになり、新しい町として「河南町」が誕生しました。その頃の世帯数が3801世帯、人口が23991人でした。≪「龍ノ口神社」について≫今から400年以上前、江戸時代の初めのころ、村の百姓、七右衛門が芝刈りに龍ノ口山に登り休んでいたところ、夢枕に気品の高い老人が立ち、龍神宮として祀れば、守り神となり幸福を授け、疫病を除き、安産だてて地に守護するとお告げを受け、七右衛門夫妻は「赤飯・神酒」を供えて、祭事を執り行い祀ったのがはじまりと言い伝えられているそうです。それ以来、豊穣の神、安産の神として、氏子をはじめ近郊の崇敬者の進行が厚く、明治5年3月には旧村社4つの神社の1つになったそうです。往古より数丈の龍体(岩石)を神体として神社の設けはありませんでしたが、大正8年6月に拝殿が建築されました。老朽化したため、平成2年に生を郷に受け育ち、京にて事業に成功された故支倉常次殿が巨財を投じ、社殿をはじめ置くの宮等々を建立寄進され、更に境内地整理美化されしない神域を備えられ現在に至ります。

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