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石巻漁港

更新日:2013年03月18日

石巻漁港の概要(沿革)

 石巻は、宮城県の海岸線のほぼ中央、旧北上川が太平洋に注ぐ河口に位置し、水産業とその加工業で発展してきた水産商工の都市である。
 石巻が史実に現れたのはかなり古く、仁徳天皇の時代(367年)上毛野田道(かみつけぬたみち)将軍が勅命により征夷の軍を率いてこの地に戦ったが敗れ、「伊寺水門(いしみなと)」で戦死したと記録されており、「伊寺水門」が石巻の古名であると伝えられている。
 石巻が港として利用され始めたのは江戸時代以降で、往時の石巻は、北上川の河口は別にあり、隣村稲井から流れる真野川の河口の小寒村にすぎなかった。
 元和9年(1623年)伊達政宗公は、海陸要衝の地となるべき石巻の地勢を見抜き、川村孫兵衛に命じて新河道を開削し北上川本流を導入してから、水運の便は一時に開け、領内はもとより上流の南部藩領から遠くは江戸に至る交通・物資集散の地として、あるいは文化導入の関門として繁栄するようになり、「三十五反の帆をまきあげて、行くよ仙台・石巻」とうたわれ千石船(約150トン)が続々と入港し、徳川幕政16大港のひとつとして「みなと石巻」の名を成すに至った。
 その後明治時代になって、鉄道の開通により海上交通は鉄道に移行し一時衰退の時期もあったが、時勢に目覚めた市民の熱意が、明治末期から大正・昭和にかけて北上川の改修、河口の浚渫、接岸施設の整備事業となって現れた。
 世界三大漁場の一つと言われる金華山・三陸沖の漁場資源を活かした水産業が大いに振興し、漁獲物の流通や水産加工業の拠点となって、これに関連する企業が興り、商工業もまたとみに活発となり、現在の発展を見るに至っている。
 

石巻漁港修築事業のあゆみ 

 昭和25年(1950年)  漁港修築事業の着工

 昭和26年(1951年)  第3種漁港の指定/第1次漁港整備計画

 昭和27年(1952年)  管理者の指定(県管理)

 昭和30年(1955年)  第2次漁港整備計画

 昭和38年(1963年)  第3次漁港整備計画

 昭和39年(1964年)  漁港区域の変更

 昭和44年(1969年)  第4次漁港整備計画(計画事業費37.9億円)

 昭和48年(1973年)  第5次漁港整備計画/特定第3種漁港の指定(計画事業費122.2億円)

 昭和49年(1974年)  新漁港開港

 昭和52年(1977年)  第6次漁港整備計画(計画事業費221.2億円)

 昭和53年(1978年)  漁港区域の変更

 昭和57年(1982年)  第7次漁港整備計画(計画事業費150億円)/港則法による指定

 昭和63年(1988年)  第8次漁港整備計画(計画事業費140億円)

 平成6年(1994年)  第9次漁港整備計画(計画事業費140億円)

 平成14年(2002年)  広域漁港整備計画(計画事業費35.7億円)

 

第9次漁港整備計画の概要

(1)石巻漁港の整備方針

 本港は、本県ばかりでなく全国的にも水産振興上特に重要な基幹漁港としての役割を果たしている特定第3種漁港です。 本長期計画においては、漁港施設の新設及び既存施設の改良を行い、漁港機能の充実を図るとともに、環境に配慮した施設の整備を行います。
 また、背後地の水産関連施設整備を推進し、水産流通加工拠点港としての漁港を整備します。

(2)計画の内容

 漁船が漁獲物を陸揚げした後の準備・休けい岸壁が不足しているため現在建設中の西地区係留施設の早期全面供用開始を図ります。そのため、西防波堤及び係留施設を併行して建設します。
 魚市場から発生する血水及びその他雑排水処理施設の建設と、泊地底泥の浚渫による水域環境整備を行い、漁港環境の向上を図ります。

 

石巻漁港の画像
石巻漁港

お問い合わせ先

部署名:産業部 水産課
電話番号:0225-95-1111
内線番号:
水産振興担当 3519
加工流通担当 3514
漁港担当 3518
水産物地方卸売市場管理事務所 0225-96-1021

担当グループ名

漁港グループ(内線3516~3518)