石巻漁港の概要
石巻漁港の概要(沿革)
石巻は、宮城県の海岸線のほぼ中央、北上川が太平洋に注ぐ河口に位置し、水産業とその加工業で発展してきた水産商工の都市である。
石巻が史実に現れたのはかなり古く、仁徳天皇の時代(367年)上毛野田道(かみつけぬたみち)将軍が勅命により征夷の軍を率いてこの地に戦ったが敗れ、「伊寺水門(いしみなと)」で戦死したと記録されており、「伊寺水門」が石巻の古名であると伝えられている。
江戸時代
石巻が港として利用され始めたのは江戸時代以降で、往時の石巻は、北上川の河口は別にあり、隣村稲井から流れる真野川の河口の小寒村にすぎなかった。
元和9年(1623年)伊達政宗公は、海陸要衝の地となるべき石巻の地勢を見抜き、川村孫兵衛に命じて新河道を開削し北上川本流を導入してから、水運の便は一時に開け、領内はもとより上流の南部藩領から遠くは江戸に至る交通・物資集散の地として、あるいは文化導入の関門として繁栄するようになり、「三十五反の帆をまきあげて、行くよ仙台・石巻」とうたわれ千石船(約150トン)が続々と入港し、徳川幕政16大港のひとつとして「みなと石巻」の名を成すに至った。
明治時代
その後明治時代になって、鉄道の開通により海上交通は鉄道に移行し一時衰退の時期もあったが、時勢に目覚めた市民の熱意が、明治末期から大正・昭和にかけて北上川の改修、河口の浚渫、接岸施設の整備事業となって現れた。
また、世界三大漁場の一つと言われる金華山・三陸沖の漁場資源を活かす、石巻がもつ立地的特性も相まって水産業が大いに振興し、漁獲物の流通や水産加工業の拠点となって、これに関連する企業が興り、商工業もまたとみに活発となり、現在の発展を見るに至っている。
昭和以降
石巻漁港は、昭和26年から漁港修築事業により整備がすすめられ、旧北上川河口の左右の海岸を魚市場として利用してきたが、上流からの流下土砂と、漁船の大型化に伴い、航路及び泊地の水深が確保できない状況となったため、昭和38年の第3次漁港整備長期計画から、現在の位置に新漁港の建設を始めた。
昭和48年には特定第三種漁港の指定を受け、翌年の昭和49年に市場の開設とともに、供用を開始している。
東日本大震災後
東日本大震災により、甚大な被害を受けたが平成24年度から第3次漁港漁場整備計画(震災復興地区計画)に基づき復旧工事を行い、順次供用開始している。市場についても、平成23年7月には仮設テントでの水揚げを再開し、その後高度衛生管理型施設として復旧整備を行った。平成26年8月に一部供用開始し、平成27年9月から全棟供用開始している。
石巻漁港修築事業のあゆみ
昭和25年(1950年) 漁港修築事業の着工
昭和26年(1951年) 第3種漁港の指定/第1次漁港整備計画
昭和27年(1952年) 管理者の指定(県管理)
昭和30年(1955年) 第2次漁港整備計画
昭和38年(1963年) 第3次漁港整備計画
昭和39年(1964年) 漁港区域の変更
昭和44年(1969年) 第4次漁港整備計画(計画事業費37.9億円)
昭和48年(1973年) 第5次漁港整備計画/特定第3種漁港の指定(計画事業費122.2億円)
昭和49年(1974年) 新漁港開港
昭和52年(1977年) 第6次漁港整備計画(計画事業費221.2億円)
昭和53年(1978年) 漁港区域の変更
昭和57年(1982年) 第7次漁港整備計画(計画事業費150億円)/港則法による指定
昭和63年(1988年) 第8次漁港整備計画(計画事業費140億円)
平成6年 (1994年) 第9次漁港整備計画(計画事業費140億円)
平成14年(2002年) 第1次漁港漁場整備計画(石巻圏域総合水産基盤整備事業計画)
平成19年(2007年) 第2次漁港漁場整備計画(石巻圏域総合水産基盤整備事業計画)
平成24年(2012年) 第3次漁港漁場整備計画(震災復興地区計画)
平成29年(2017年) 第4次漁港漁場整備計画(石巻圏域総合水産基盤整備事業計画)
石巻漁港(空撮)
石巻漁港
石巻漁港(管理棟)
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