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姉妹都市・友好都市

更新日:2021年11月9日

国内の姉妹都市・友好都市

萩市(山口県)

江戸時代初期に仙台藩主伊達政宗公の命を受け東北一の大河である北上川の改修を成し遂げた川村孫兵衛重吉翁が、山口県萩市出身であったことから、平成28年4月8日、友好都市協定を締結いたしました。

萩市は、山口県の北部に位置し、北部は日本海に面し、東部は島根県、南東部は山口市、西部は長門市及び美祢市に接しています。

気候は、沿岸部においては対馬海流の影響を受けて比較的温暖であり、中山間部は盆地特有の気候で、変化に富んだ豊かな自然環境を有しています。

歴史は、古くは日本書紀にも見られる長門国の五郡の一つ「阿武郡」にさかのぼり、10世紀前後には後白河院の知行する阿武御領と呼ばれ、また、慶長9(1604)年、居城を広島から萩に移した毛利輝元は、三角州に城下町を建設し、以来、廃藩置県に至るまでの260年余り、毛利36万石の城下町として、発展しました。

明治22年の「明治の大合併」と昭和30年の「昭和の大合併」により、現在の萩市の基となった旧萩市・川上村・田万川町・むつみ村・須佐町・旭村・福栄村が編成され、平成17(2005)年3月6日には、この1市2町4村が合併し、新「萩市」となり現在に至っています。

萩市は県下でも有数の農林水産業地域でもあり、「萩たまげなす」「千石台大根」などの農産物や「萩の瀬つきあじ」「萩の真ふぐ」「須佐男命(みこと)いか」などの水産物は、萩のブランド産品です。また、伝統工芸品の「萩焼」は、「一楽二萩三唐津」と呼ばれ、我が国屈指の焼き物として有名です。

また、萩市は、毛利藩政期に形成された城下町のたたずまいが都市遺産として今なお現存しているまちであり、吉田松陰をはじめ高杉晋作や伊藤博文など近代日本の夜明けを告げた人々を輩出した「明治維新胎動の地」です。平成27年には、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、市内5つの構成資産が世界文化遺産に登録されました。

このような歴史・文化遺産、自然を保存・活用したまちづくり、観光地づくりとして「萩まちじゅう博物館構想」を推進し、萩固有の有形・無形の資産を活用し、新たな観光形態である「学ぶ観光」・「教育観光」に取り組んでいます。

萩市・明倫学舎の画像
明倫学舎

ひたちなか市(茨城県)

 石巻市とひたちなか市は、江戸時代から江戸と松前(北海道)を結ぶ海運の要衝として交流が深く、互いに繁栄を極めました。

両市の歴史的な深い交わりと友愛を基調として、更に親善を深め、相携えて共栄を図るために、平成18年2月13日に姉妹都市の締結をいたしました。  ひたちなか市は、平成6年11月1日、旧勝田市と旧那珂湊市の合併によって誕生しました。

 東京から110キロメートルの距離にあり、茨城県の北東に位置し、南は那珂川を隔てて県都水戸市と大洗町、西は那珂市、北は東海村に接しています。

 市の東側は美しい碧の海・太平洋に面し、13キロメートルの海岸線が続いています。その海岸線の北端には、ひたちなか地区の中心として位置付けられている常陸那珂港があり、定期連絡船のほかに、外国コンテナ船等が入港し、物資流通の要衝として整備が進められています。また、南端の那珂湊漁港では、初夏はカツオ、秋にはサンマの水揚げで活気があふれています。

 また、海岸線には阿字ヶ浦海水浴場をはじめ、平磯海水浴場、姥の懐マリンプール等があり、季節になると大勢の海水浴客でにぎわいます。

 そのほか、さまざまなアトラクションが楽しめ四季折々の花々が観賞できる国営ひたち海浜公園、花しょうぶが豪華絢爛に咲き誇る馬渡はにわ公園や、徳川光圀公が移植した黒松で有名な湊公園のほか、武田氏発祥の地にある武田氏館、彩色壁画が残る虎塚古墳、那珂湊おさかな市場など名所がいっぱいで、たくさんの観光客が訪れます。

 市内の平磯海岸には、今から約7500万年前の中生代白亜紀後期に堆積した地層が見られアンモナイトやウニなどの化石のほか、翼竜(ヒタチナカリュウ)の肩甲骨も発見されています。 市の名産は、水産加工品と全国の生産量の8割を占める「ほしいも」があります。

ひたちなか海浜鉄道湊線の画像
ひたちなか海浜鉄道湊線
阿字ヶ浦海水浴場の画像
阿字ヶ浦海水浴場
国営ひたち海浜公園・コキアの画像
国営ひたち海浜公園・コキア

河北町(山形県)

 旧河北町と山形県河北町とは、「同名」が取り持つ縁により平成13年1月に友好都市の盟約を締結し、以来両町町民による相互訪問や各種の事業実施により、交流を深めてきました。

 平成17年4月の石巻市の誕生を契機に、さらに全市的に親善を深め、教育・文化・産業などの交流を促進し、互いの繁栄を図るため、平成18年1月30日に友好都市の盟約を締結いたしました。

 河北町は、山形県のほぼ中央にあって、万年雪を抱く月山や雄大な朝日岳、さらには、樹氷で有名な蔵王を遠くに望みながら、山形県の母なる川、最上川と清流寒河江川に囲まれた、風光明媚な町です。

 山形空港を表玄関とし、山形新幹線さくらんぼ東根駅からは車で15分、山形中央自動車道東根インターチェンジからは、わずか7分のところです。河北町は、早くから水田が開発され、米と紅花を中心に地域の振興を図り、最上川の舟運によって上方文化と直結しながら、優れた文化を伝えてきました。

 「雛とべに花の里・河北町」では、寒暖の差が激しい盆地特有の内陸性気候と、紅花栽培に最適と言われる気象条件を背景に、室町時代の昔から紅花が盛んに栽培されてきました。収穫された紅花は「最上紅花」として最上川を酒田に下り、そこでいったん北前船に積みかえられ日本海を渡って敦賀に上陸。さらには、琵琶湖・淀川を経由して京都・大阪に送られ、最上紅花の名声を全国にとどろかせました。

 当時は、全国の生産量の半分を最上紅花が占めたといわれています。現在は、「さくらんぼ」を始め「ラ・フランス」「りんご」などの果実類が盛んに栽培されています。

 毎年4月2日、3日に開催される「谷地ひなまつり」では、紅花交易による当時の繁栄ぶりをうかがわせる享保雛・次郎左衛門雛・御所人形などが旧家で一般公開されます。

 また、9月中旬に開催される400年の歴史を誇る谷地八幡宮の大祭「谷地どんがまつり」と「林家舞楽」や江戸時代、紅花商として財をなした旧堀米邸を復元し、古文書や紅染め衣装などの貴重な資料を展示している「紅花資料館」には毎年多くの人が訪れます。

河北・紅花資料館の画像 
紅花資料館

 

国外の姉妹都市・友好都市 

温州市(中国)

 石巻市と温州市は日中両国政府の共同声明の原則と日中平和友好の精神に基づき、両市市民間の友好往来の一層の増進と相互協力及び両市の発展のため、平成17年11月17日に友好都市の締結をいたしました。

 温州は中国沿岸地域の中部、浙江省の東南部にあり、浙江省南部の政治、経済、文化の中心です。悠久の歴史を持ち、新石器時代末には人類が生活を始めており、南宋(12世紀から13世紀)の時代には既に貿易港となっていました。

 温州は中国では初めての外国資本の導入を目的に設けた14の開放都市の一つであり、また農村改革実験区、総合改革と金融体制改革の実験都市、都市の情報化・工業化の実験都市でもあります。

 気候は亜熱帯海洋性気候に属し、年間平均気温は18度、月最高平均気温28度、月最低平均気温7度で年較差や日格差があまりありません。降雨量は年間約1,900ミリ、年間を通じ温暖で厳冬期間がなく、一年を通して温暖な地ということで「温州」の名がついたといわれています。

 温州市は、3区(鹿城、竜湾、甌海)、2市(瑞安、楽清)、6県(永嘉、平陽、蒼南、洞頭、文成、泰順)により構成されており、人口は約772万人、そのうち市街地人口は約144万人です。

 陸地総面積は11,784平方キロメートルです。平野には河道がクモの巣のように縦横に交錯しています。海岸線の長さは355キロメートル、沿海には多くの島があります。海岸線の曲折など優越な条件がそろい、河港と海港が一体化する総合的な天然良港で、浙江省南部、福建省北部の貨物の出入り口になっています。

 海底資源としては、主に沿海と東シナ海大陸棚に石油、天然ガスなどがあります。金属類鉱物の資源としては、亜鉛、銅、アルミニウム、マンガン、すず、モリブデン、銀、鉄などの30余りの種類があります。非金属の鉱物は明礬石、高陵土、ホタル石、石英岩、花崗岩などがあって、その中の明礬石の埋蔵量は中国国内の80%を占めています。

 温州は水稲と水産物が豊富なことから「魚米の里」と言われています。山地を除く大部分の地域で水稲を年2回収穫でき、そのうちの7割の地域では、米のほかに大麦や小麦、アブラナなどを栽培しており、3期作地帯でもあります。そのほか、経済作物としてはお茶、蜜柑、砂糖キビ等160種類余り、西部の山々には大量の林木産品と動植物資源があります。海域面積は広く、洞頭、南鹿、楽清湾などの漁場を持っており、太刀魚、スズキ、ウナギ等370種類の魚が取れます。東部沿海諸県の砂浜ではアゲマキガイ、アカガイ、エビ、カニ、軟体動物などを養殖しています。

 温州の工業は、手工業を中心に発展してきました。青磁発祥地のひとつであり、製紙、造船、絹織物、漆器、革靴など中国の歴史上でもそれぞれ一定の評価を得ています。現在では、靴製造、製革、服飾、プラスチック、ライター、眼鏡、ボタン、低電圧器具、印刷、ペン、かみそりなどを専門とした経済圏を形成しています。中小企業は生産と取引のコストを下げるために分業、協業をしており、一定の地区内に集中して同類の製品を生産しています。

 交通通信は非常に発達しています。温州の空港は、多くの国内線と香港及びマカオへの定期便もあります。温州の駅は中国では始めて株式で建設された鉄道「金温鉄道」の終点駅であり、列車により北京、上海、南京、杭州等国内主要都市まで行くことができます。温州はまた、道路交通中心都市の一つで、国道が南北を貫通し、高速道路も整備されています。

 温州は風光明媚で、雁蕩山及び楠渓江という二つの国家クラス重点風景名勝区、烏岩嶺及び南鹿島の二つの国家クラス自然保護区、仙岩及び瑶渓等の省クラス風景名勝区、蒲壮所城や玉海楼等の国文化財があります。

 海外にいる温州出身の華僑は30万人以上、世界60カ国以上に在住しており、温州は「華僑の里」と呼ばれています。フランスには約8万人、イタリア7万人、オランダの3万人、米国の5万人、シンガポールの2万人、香港とマカオの2.5万人の温州出身者が生活しています。海外の温州人は主に飲食業で生計を立てていますが、商品生産、加工貿易に従事している人も多くなっています。

温州市内の風景の画像
温州市内の風景

チビタベッキア市(イタリア)

 石巻市とチビタベッキア市は、支倉六右衛門常長一行がローマ法王謁見のため1615年に上陸したことを契機として、行政交流、青少年・文化交流等を行っており、慶長遣欧使節出帆400年の節目となる2013年にチビタベッキア市を訪問し、同年7月8日に姉妹都市の締結をいたしました。

 「古代の街」を意味するチビタベッキア市は、イタリア共和国・ラツィオ州・ローマ県に位置し、首都ローマから西北西に約59キロメートルの距離にあります。面積は71.95平方キロメートル、人口約5万人で、港を中心とした半円状の市域を持つ「ローマの外港」と称される港湾都市です。

 チビタベッキア港は、古くから軍港として栄え、現在は穀物・石炭などの物資を供給する海の玄関口として知られているラツィオ州第一の港であり、地中海クルーズ船の拠点にもなっています。

 また、来訪者が休日を快適に過ごせる温暖な気候と、漁業が盛んで新鮮な魚介類が食べられる街としても有名で、2つの巨大な火力発電所があります。

 日本とチビタベッキア市とは関わりが深く、1597年に長崎で殉教した「日本二十六聖人」を記念して建設された日本聖殉教者教会(カトリック教会のフランシスコ会に属する聖堂・教会)があります。

 同教会は第二次世界大戦で破壊されましたが、1951年の再建時に、内装を担当した日本人宗教画家の長谷川路可(はせがわろか)は、内陣5面の日本聖殉教者殉教場面とエピソードのフレスコ壁画、内陣天井画として和装の聖母子像と聖人像、会堂両側の壁6面の壁画を6年がかりで独力で描き上げ、チビタベッキア市の名誉市民となっています。

 その他の文化遺産として、「ミケランジェロの要塞」があります。この要塞は、港湾防衛のための要塞で、建物上部のMaschio(マスキオ)と呼ばれる塔は、ミケランジェロの設計によるもので、要塞全体の名となっています。この要塞は、ローマ帝国時代の建築物の上に建てられており、おそらくローマ海軍の兵営であったと考えられています。

 市内にある城壁の門「リボルノ門」をくぐり、旧市街にあるカラマッタ広場には支倉常長の銅像が建っています。その像は、石巻市から寄贈し建立したものですが、常長も同じ門をくぐり街に入ったと言われています。また、同じ銅像が出向の地・石巻市月浦にも建っています。常長が築いた交流が今もなお続いており、常長の偉業を知るとともに、今後も両市の絆を深めながら友好関係を発展させていくこととしています。

チビタベッキア市ミケランジェロ要塞の画像
チビタベッキア市ミケランジェロ要塞

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