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稲井の災害

更新日:2017年3月2日

歴史や自然に恵まれた稲井地区ですが,けっして災害とは無縁ではありません。歴史を正しく知るためにも,稲井地区の人たちがどのように苦労してきたかを紹介します。詳しくは,稲井町史にのっているので調べてみてください。

◎稲井の凶作・飢饉(ききん)
  飢饉は,決して歴史の教科書にのっている江戸時代に他の場所であった出来事ではありません。神社に残されている記録を読むと,昔は台風や洪水,冷害などでお米が取れず,死んだ人が出たのは,平均すると10年に1回ぐらいありました。正元元年(1259年)には,食べるものがないあまり死んだ人を食べたとの記録があるぐらいです。
  宝暦・天明・天保と大きな飢饉が三回ありましたが,その中で,もっとも悲惨だったのが天保年間(1830年ごろ)に発生した天保の大飢饉です。当時の食べるものがなくて約2000人の人がなくなり稲井地区の人口が半分になってしまいました。
 原因は,いろいろありますがこれらの災害で食べるものがないという状態が解消されたのは,つい最近のことでそれまでは,人々の大きな努力があったからです。

◎稲井の津波
 東日本大震災の津波では,井内や大瓜井内地区にひがいをもたらしましたが,昭和35年のチリ地震津波でも,被害がありました。幸い亡くなった人はいませんでしたが,津波やそれにあわせての洪水への備えも大切なのですね。

◎稲井の火事
 稲井地区土地が広く,家々の間広いので大きな火事が発生することは少ないのですが,それでも天明5年(1785年)の上品山から発生した山火事は,数日間燃え続け近隣の民家や神社を焼失しました。その後消防組織が整備されましたが,稲井地区では,住民がみんなで助け合い,みんなで消火活動をするようになりました。

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津波前の大瓜井内中心部
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裏沢田の洪水
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南境地区の洪水