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内海五郎兵衛(うつみ ごろべい)

更新日:2016年12月16日

 1841年(天保11年)、牡鹿郡水沼村の片岡家の長男としてうまれ、その後に内海の家に養子に息行き内海姓を名乗りました。当時の石巻は門脇・石巻・湊の3ヶ所を合わせて石巻村になっていたにもかかわらず、北上川で分断されていることから、川を従来する際に水勢が激しいと何日間もの間対岸にいけないことがありました。1879年(明治12年)、田辺吉輔(石巻村本町)と大西久右衛門(東京府浅草)により宮城県に提出された架け橋の申請書類が受理されたものの、建設経費を出資してくれるはずだった人に支障が出て資金不足となり、着工できなかったのです。そこで、その権利をもらいうけ,内海は経費2万5千円を独立で用意し工事に着手し,1882年(明治15)橋は無事に完成しました。その功績により橋は当時の県令(知事)の松平正直から「内海橋」と命名されました。1908年(明治41年)118日、67歳で亡くなりました。

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